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親知らずは「進化の置き土産」——脳が大きくなった代償を、僕たちは口の中で払っている

 

 

「親知らずを抜いてきました」っていう話、20代の会話でやたらと出てきますよね。痛い、腫れた、抜くのに30分かかった、みたいな。でもちょっと不思議に思ったことないですか。そもそもなんで生えてくるの?って。で、なんであんなに厄介なの?って。

実はこの答えの中には、数百万年にわたる人類の進化の歴史が、ぎゅっと詰まっていたりするんですよ。

福山市神辺町にありますおきとう歯科クリニック院長の沖藤泰隆顎咬合学会認定医)です。

親知らずって、もともとは「緊急食料用の装備」だったんです

歯科での正式名称は「第三大臼歯(だいさんだいきゅうし)」っていうんですけど、かつての人類にとっては、結構重要な歯だったんですね。

鮮新世から更新世という時代、初期のヒト属、いわゆるホモ・ハビリスとかホモ・エレクトスっていう人たちは、特定の食べ物だけに頼るんじゃなくて、その時々の環境に合わせて何でも食べる、雑食戦略をとっていたんです。食べ物が少なくなる季節とか、非常時には、固い木の実とか、地下茎とか、皮の硬い植物とか、噛み砕くのにかなりの力がいるものを食べないといけなかった。

そこで活躍していたのが、親知らずなんですね。噛む面が広くて、エナメル質も厚くて。まあ、そういう過酷な食事環境にぴったりの装備だった、という感じです。当時の人類のあごは、今とは比べ物にならないくらい大きくて、32本の歯がきれいに収まっていた、っていうふうに言われています。

脳が大きくなりすぎちゃった、というお話

問題が起き始めたのは、人類の脳がぐっと大きくなっていったときなんですよ。

脳を包む頭蓋骨が大きくなるにつれて、頭蓋骨そのものの形も変わっていったんですね。特に、顔と頭をつないでいる土台みたいな骨、専門的には「蝶形骨(ちょうけいこつ)」っていうんですけど、まあ頭蓋骨の底の真ん中あたりにある、ちょっと蝶々みたいな形をした骨があるんです。これが進化の過程で短くなっていって、結果として顔が頭蓋骨の内側にすっぽり収まるような形に変わっていったんですね。

現代人の顔が、ネアンデルタール人みたいにぐいっと前に突き出ていないのは、これが理由なんです。イメージでいうと、昔の人類は顔が前に出ていたのが、進化するにつれて、顔がだんだん頭の下に引っ込んでいった、みたいな感じですね。

で、この変化のとばっちりを受けてしまったのが、歯が並ぶアーチ状の骨、いわゆる「歯列弓(しれつきゅう)」なんですよ。顔が後ろに引っ込んだ分、歯が並ぶスペースが狭くなっちゃった。でも人類のDNAはいまだに「32本の歯を生やしなさい」っていう昔の命令を持ち続けているんですね。スペースは足りないのに、歯は生えてくる。これがまあ、親知らずが悪さをしてしまう根本的な原因、という感じです。

「消化の外部化」もあごを小さくしていった

あごが縮んでいったもう一つの理由として、研究者の方々が注目しているのが、食べ物を事前に加工するようになったことなんですよ。

肉を食料に加えたり、石器で食材を切ったり叩いたりすることで、口に入れる前の段階で、消化の下準備をちょっと外にまかせるようになったんですね。2016年の『Nature』という科学雑誌の研究によると、食事に肉を3分の1加えるだけで、年間の噛む回数が約200万回くらい減って、必要な噛む力も全体で15%くらい下がった、というデータが出ているそうです。さらに、根菜を加工することでも、噛む負担はかなり減っていった。

つまり、料理とか火を使うよりもずっと前の段階から、人類はあごへの負担を減らし始めていた、っていうことなんですよ。その結果、大きなあごや強力な臼歯を維持する必要性が薄れてきて、あごは世代を重ねるごとに、少しずつ小さくなっていった、という感じです。

じゃあなんで、今でも生えてくるんですか?

こういう話を聞くと、次の疑問が出てきますよね。「だったらもう、進化で消えてしまってもいいんじゃないの?」って。

これ、鍵は遺伝子にあるんです。歯の発育を制御する遺伝子、MSX1、PAX9、AXIN2みたいなものがあるんですけど、これらは歯だけに関わっているんじゃなくて、頭とか顔全体の形を作ることにも関わっているんですね。なので、親知らずだけをピンポイントで「消す」ような突然変異っていうのは、なかなか起こりにくい。仮に起きたとしても、他の部分の発育に悪影響が出るリスクがあったりする、ということなんです。

それと、親知らずが生えてくるのって、だいたい10代後半から20代前半くらいじゃないですか。多くの人がもう子供を持っているか、これから持てる年齢なんですよね。自然選択っていうのは「子孫を残せるかどうか」を基準に働くので、生殖の前後で起きるトラブルには、進化はなかなか反応しない、という感じなんです。

ちなみに、生まれつき親知らずがない方の割合って、ヨーロッパの方で約9%、東アジア系の人たちでは30%を超える地域もあるみたいで、ゆっくりとではあるんですけど、変化は起きているっていう感じですね。

進化は「未来を見てくれない」

親知らずのお話って、進化の面白い本質を教えてくれるなと、僕は思っているんです。進化は、子孫を残した後に起きるトラブルを最適化することができない。それと、文化や技術の変化のスピードには、どうしても追いつけないんですね。

現代の加工食品とか、医療の進歩って、進化の時間スケールから見ると、もう桁違いに速いスピードで世界を変えてきたんですよ。そのギャップを埋めている役割というのが、まさに歯科医療なのかな、と僕は思っています。

急速に進化した大きな脳と引き換えに、僕たちのあごは小さくなってしまった。結果として行き場を失ってしまったのが、親知らずという「遺産」なんですね。あの痛みは、何百万年もかけて積み上げられてきた人類の進化の歴史が、ある日ふと、口の中に顔を出してしまった瞬間、なのかもしれない、という感じですね。

参照文献

(1) 肉食・石器処理と咀嚼量低下(ブログ本文の「年間約200万回」の出典)

  • Zink KD, Lieberman DE. Impact of meat and Lower Palaeolithic food processing techniques on chewing in humans. Nature 531:500–503, 2016. PMID: 26958832. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/26958832/
    • 肉が食事の1/3を占め、肉をスライス・根菜を叩くだけで年間咀嚼回数が約200万回減、咀嚼力も15%低下することを実験的に示した論文。ブログ中の数字はこれ由来。

(2) 農耕移行とあご縮小(ブログの「あごが小さくなった」パートの裏付け)

(3) 第三大臼歯先天欠如(アジェネシス)の有病率と進化的位置づけ(「生まれつきない人が増えている」の裏付け)

  • Carter K, Worthington S. Morphologic and Demographic Predictors of Third Molar Agenesis: A Systematic Review and Meta-analysis. J Dent Res 94(7):886–894, 2015. PMID: 25883107. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/25883107/
    • 世界平均の第三大臼歯欠如率は 22.6%、地域差 5.3〜56.0%。女性で14%多く、上顎で36%多い。
  • Sujon MK et al. Prevalence of Third Molar Agenesis: Associated Dental Anomalies in Non-Syndromic 5923 Patients. PLOS ONE 11(8):e0162070, 2016. PMID: 27580050. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/27580050/
  • Gaeta-Araujo H et al. Third molar agenesis in modern humans with and without agenesis of other teeth. PeerJ 2020. PMID: 33240669 / PMC7678444. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33240669/

(4) 歯の欠如を司る遺伝子群(ブログの MSX1/PAX9/AXIN2 の一次情報)

(5) 親知らずと前歯部叢生/臨床的インパクト

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